首がいたくなったり、瞑想をしたり、小説教室に行ったり、考えたり。

首がいたくて、会社を休んだのだった。
少し歩くといたくなるから。まいった。
金曜はずっと首にコルセットを巻いてじっとしていた。
そうしたら、いたくなくなってきたような気がした。
本を読むのにうつむくのも首に負担がかかるので、
姿勢よく瞑想をした。最初の瞑想は途中で眠ってしまった。
瞑想は、よくないところが浮かび上がってくる。
眠りが足りないと、眠くなる。で、眠った。


よく眠ってから、もう一度瞑想をした。
首以外にも、胃や背中などあちこちがいたくなってくる。
いてえなあ、とイライラしたり拒絶してはいけない。
いたくない、いたくないなどと抑えたりごまかしてもいけない。
いたいことをよくよく味わうこと。いたいなあ、いたいなあ。
一体何がどういたいんだと、クローズアップしていく。
イメージの中で冷えて固まっていたんでいるところに、
フォーカスしていく。そうすると、いつの間にか、
そこが温まってきて、いたみが消えてなくなる。
いたみはシグナルだと思っているので受け止めて出しきる。
いたみがなくならなかったら、いたかったところを覚えておいて、
瞑想のあと、そこにお灸を三つくらい固めて据える。


そんなことを繰り返して、いたみを消す作業をしていた。
土曜日、小説教室があったので新宿まで行った。
首は電車に乗るまではいたくなかったのだけど、
新宿で降りたところでいたくなってきた。
ビルまで歩くのもいやになってきたけど、
いやだ、いやだと思わずに、
いたいなあ、いたいよなあ、しょうがないよなあ。
と思っていたら、いたみが半分くらいになった。ふしぎ。


教室ではじっとしていたのでいたくなかった。
題材は受講生の小説についてと、小説家の作品二篇。
『きなりの雲』石田千、『ヒグマの静かな海』津島祐子。
津島祐子さんの作品は整然としていて力強くて、
すごく好きな作品だったので、他のも読みたくなった。
この前の芥川賞の選評も皆で読んだ。
『きなりの雲』は長いとか、円城搭の『道化師の蝶』は
もっとわかりやすくとか、そういうことが書いてあった。
もし芥川賞が応募制で、賞がほしくて、
自ら応募して批判されるなら仕方ないけど、
勝手にノミネートされて、
長いとか難解だとかつまらないとか都知事らに言われるのは、
たまったもんじゃないだろうなと思った。



壮行会にいけなかった。

定期的にお会いしているあわぢぃさんが、
大阪に転勤になるということで、六時から壮行会があったのだけど、
首が心配なので帰ることにした。それが残念だったな。
お風呂に長く浸かって、首に湿布を貼ってコルセットをして寝た。
朝になると、前日よりすこしよくなった気がした。
昼にインドカレーとタンドリーチキンを食べて、
ふたたび家にもどって瞑想をして、お灸を据えたりした。
カレー屋への往復で、すこし首がいたくなりそうだった。


コルセットの中にカイロを入れると、とても気持ちがよく、
ずっとお風呂に入っているような心地よさになることがわかった。
で、それをしたまま横になって一時間ほど眠ったら、
首がほとんどいたくなくなった。温めるって大事だな。


それにしても首は本当に気をつけた方がいい。
と、小説教室の根本先生もおっしゃっていた。ので、気をつける。
何が原因でこんなになったのかはよく分からないけど、
急ぎ足になるといたんだりするので、
「急ぐな」という宇宙からのメッセージなのかもしれない。
あと先月は大きめのストレスがあったので、
その分が来ているのかもしれない。
ストレス環境下を乗り切るために
ひと月先の精神力と体力を前借りしていたような。


そんなことを、ひのじさんといろいろ考えて話しつつ、
バルで白ワインを二杯と魚介の煮込みなどをかるく食べた。
自分が何をしたいか、何ができるか、世間から何を求められているか、
真剣に向き合って価値観を明確にしたうえで、人生の計画を立てたい。
何を選択して、何に集中するか。
しばらく、じっくり自分の内の声に耳を傾けて、よく検討したい。

自分の心もそろそろ疑い始めてる
そうぼちぼちペースをおとすべきなのだろう
ひとつひとつ かみしめながら ながら族もうおわり
季節を感じ 風を感じ 緑を見よう
(「Hey!みんな元気かい?」より)