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雨にうたれるのは気持ちがよい。精神分析の本。

なんか神経がささくれている感じがするので、
会社の帰りにジムに行って運動をしたのでした。
筋トレをして有酸素運動を二十分して、
露天風呂に行ったら雨が降っていました。
けっこう降っていて、
冷たい雨粒を頭や肩でぽつぽつ受けていると、
自然のエネルギーが少しずつ溜まってくる気がしました。
雨をすすんで受けることなんて滅多にないですけど、
これはなかなか気持ちがいいと思いました。


ところで最近、精神分析の本を読んでいるのです。
精神分析とはフロイトが始めたもので、
精神分析家は日本に三十人しかいないそうです。
で、この本は精神分析とは何かが具体的に書かれた本で、
僕にはまったくの未知の分野で、
ずいぶん興味深い内容なのでした。

集中講義・精神分析〈上〉精神分析とは何か/フロイトの仕事

集中講義・精神分析〈上〉精神分析とは何か/フロイトの仕事

被分析者を横にならせて自由にしゃべらせて、
分析家はその隣で話を聞いて、
アドバイスとかの働きかけをするわけでもなく、
ただ被分析者の心を解釈して持ちこたえて分析して、
相手と心を通わせたりする営みなのだそうです。
被分析者は何年もかけて、セッションを受けて
心が変化していくそうです。


というのを読んでいて、ふと思ったのは、
小説とか文章を書くのは、僕にとっては、
精神分析みたいだなということです。
どういうことかというと、まずまっさらなところに、
頭の中から物語をアウトプットするとき、
言葉の選び方や文章の流れには、本人が書くのだから、
必ず本人の意識と無意識が混ざっていて、
そういう出力が最初にドバっと飛び出す。
それを自分の目で読んで解釈して書き直して進めて、
というのを繰り返したり、しばらく時間を置いて読み返すと、
どうしてこんなことを書いたのだろう
というようなところがあったりして、
そこから受ける印象を構成しているのは、
僕の無意識にあったもので、それを意識に上げて、
それを触媒にした反応の結果をさらに文章に移して、
解釈して、反応して、書いて、読んで……。


ということをやり続けると、知らず知らずのうちに、
自分の内面に深く深く下りていくことになって、
それは心のバランスを崩すことになりかねないけど、
それを乗り越えたところで、つまり、
小説とかを自分なりに書き終えたときには、
自分の精神が再構成されて、ひとまわり強化されたような、
気配が拡張されたような実感を、
得ることができるのだと思いました。
そしてそのときの小説は、作者自身で完結する
精神分析的なものによって回復していくプロセスの痕跡で、
そのプロセスの根底には、神話のような、
人類共通の原型があるのかもしれなくて、
その物語を読むことで人が何をどのように受け取るのか、
物語の力みたいなものは、今後自分なりに考えて、
作るもの全般に適用していきたいと思いました。


ところで、土曜日に観た「死なない子供、荒川修作」の中で、
荒川修作氏の言葉で、心に残ったものがあって、それは、
バランスを崩すことを恐れてはいけない、
それは再構成されつつあるのだから、むしろよろこぶべきだ。
というようなのがあって、僕は強く勇気づけられたのでした。



運動をして帰ってご飯をたくさん食べたので、
だいぶ気分がよくなりました。きっといろんな病気は、
自分の思考が作り出すものなのだろうと思いました。
よくわからんけど。