文学フリマに出たり、「ポニョはこうして生まれた」のDVDを見た。

冬の文学フリマが24日にあって、
そこで売る小説を書くのに集中していました。

文学フリマに「ブログ読んでます」って言って、
買っていってくれた方がいてうれしかったです。
そのとき「最近、更新してないですね」と言われて、
わー! ブログ書かなきゃと思ったのでした。
ありがとうございます。
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(kasahiさん撮影)


10月の中旬から土日はずっと自宅にいて、
夕方にジムで運動をして、書店に入って、コーヒー飲んで、
レイトショー見て、焼鳥屋で一杯やって帰るということを、
飽きずに繰り返していました。

ずっと自宅にいて、そのあいだ小説を書いていたのかというと、
これがそうでもなくて、全然書けなくて苦しんでいました。
今回の『突き抜け』は、ぼく抜きで出すしかないと思ったほどでした。

で、全然書けなくて何をしていたかというと、
『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』
というDVDを見ていました。

このDVD、5枚組で12時間半もあって、
NHKの若いディレクターが宮崎駿監督にずっと密着して、
カメラを回しているのですが、超おもしろいのです。
何がおもしろいのか挙げ出したらきりがないのですが、
ぼくがおもしろいと思ったのは、
宮崎駿監督が苦しんでいる」
ところです。すごく苦しんでいるのです。ずっと。


映画作りに取りかかる前の監督は、けっこう機嫌がいいのですが、
映画作りが始まると、どんどん機嫌がわるくなってきて、
愚痴っぽくなってくるわ、マジ切れするわで、
ディレクターが頻繁に怒られるので、
「わー そんなに近寄るとまた怒られるよ!!」
と、こっちがハラハラしていると、案の定カミナリが落ちて、
「ほーらやっぱり怒られた! だからいまはダメだってのに!」
と、見ている側が気まずい気持ちになるという、
不思議なドキュメンタリーでした。
(気まずすぎて、しばらく見たくなくなるほどでした)


なんでそんなに機嫌がわるくなっているのかというと、
映画の制作が進むにつれ、監督が神経質になっていくからで、
それというのも、自分が描いた絵コンテをもとに、
ジブリの大勢のアニメーターが作業をするので失敗が許されないうえに、
早く描かないと進行が止まって、映画の公開が遅れるという
板挟みの状態になっているからで、
それだけでもノイローゼになりそうなのに、
そのうえ、前作を超えるようなストーリーと絵を、
そこまでの展開や時代の空気や監督の今の気持ちなどに沿って、
選択していこうとしていて、おまけに、
アニメーターの原画のチェックと手直しも全部してて、
逃げ出したくなるような極限状態が何か月も続くからで、
そんなになってるんだから密着取材なんか断れよ!
とツッコミを入れたくなるのだけど、
こんな修羅場のリアルな映像を見れるのは貴重だから、
怒られる~! とビクビクしながら覗くように見たのだった。


で、見ていて思ったのは、
宮崎監督は自分自身をあえて追い詰めているということ。
「これまでと同じだったら、これまでのを見てればいい」
と言って、これまでにないものを作る挑戦をしていて、
それはストーリーだけでなく、線の一本にまで至っている。
手が覚えている慣れた描き方で引いてしまう楽な線を、
常に意識的にずらして描いていたり、
自分のアイデアを自分で裏切ったり、
できるかわからないことをやろうとしたり、
作って試して壊して、何度もシミュレーションをして、
わざと時間をかけて悩んで苦しんで、ゆっくり進めていた
(監督自身「時間をかけないといけない」と言っていた)。
とにかく考える量が多くて、あらゆるパターンを考えている。
「(映画を見た人に)わかんないと言われたとき、
わかんない奴がバカだと言える」ように何通りも先回りして考えて、
さんざん考えた中から自分の気持ちに合うものを探すという。
そうすることで、誰でも思いつくことではない
すぐにできるものではないものが、できあがるという。


何度も出てきた言葉に「危機感」というのがあって、
ジブリの鈴木プロデューサーの話もあるのだけど、
宮崎監督が精神不安定になるのは、毎度のことらしく、
それは「理屈ではとらえきれない領域に入りたい」から、
そうなるらしい。そうしたときに、
いいものができる、おもしろいものができる。
これを「脳みそのふたを開けなきゃいけない」と形容していた。
そのために、自分を追い込んでいるのだという。
たしかに、精神不安定になってくると、
神経が過敏になって、いつもなら見えないものが見えたり、
あらゆることが自分へのメッセージのように
感じられたりすることがあるけど、
そういう状況をあえて利用しているのだろうかと思った。


もうひとつの苦しみのポイントは、
宮崎監督の幼少期にあったらしき心の問題のようなもので、
ドキュメンタリー番組なので、そういう流れにしてるのでは
とはじめは訝しんで見ていたのだけど、どうもやはり、
お母さんとの関係で何かがあるようだった。
「おふくろに対しての気持ちをほどいていない
どうすればおふくろはもっといきいきと生きられたんだろうと
時々思ったりする」と監督が語っていた。
ポニョの映画の終盤で、お母さんを投影したようなおばあさんと、
主人公の少年をどのように描いていくかのところから、
「なんで絵コンテをやり出すと突然肩が重くなるんだろう」と、
絵コンテがものすごく遅くなる。
見ていて思ったのだけど、クライマックスというのもあるけれど、
ここに宮崎監督の向き合いたくないけど向き合わないといけない、
何かがあるのだろうと思った。だから辛くなるし悩むし進まなくなる。
そして、それを表現して対峙して昇華することが、
結果的に映画に欠かせない要素になっていくのではないかと思った。
だからラストはもう宮崎監督のためにあるように思えたし、
宮崎監督の心にその何かがなければ、そもそもポニョの映画が、
完成しなかっただろうと思った。その何かのシーンを越えてからは、
「作り始めたときはいろいろあるけど映画を作る作用で希望に向かっていく」
と語ったり、映画も円満にエンディングになっていく。


このドキュメンタリーを見たあとに、
あらためて「崖の上のポニョ」を見ると、
カットのひとつひとつに思考とか念がこもっていて、
隙がなく、なぜここはそうなっているのか
理由を説明できるようになってると思ったのだった。
ドキュメンタリーから宮崎作品のすごさがよくわかったのだけど、
「ものを作る」こと全般に共通する大切な条件やプロセスなど
(悩むこと、時間をかけること、ロジックを精密に組み立てること、
心の何かと向き合うこと等々)が、ここにあるように感じたのだった。



で、長くなってしまったのだけど、
『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』を見た
ショックで、文学フリマ用の小説が書けなくなったのでした。


つづく。長くなってしまった、寝る!)


結局、小説は書いて『突き抜け』も出せました。
ご注文はこちらからお願いします。

短編小説集 『突き抜け』 通販ページ
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橋梁の話を聴いたり、「フランク」を見たり、文芸漫談を聴いたり、人狼したり、錫酒器作りをした。

台風が近づいている。明日の朝には去っているらしい。

10月7日

世界的橋梁デザイナーのローラン・ネイさんが、
ミズベリングというイベントで講演をされるというので、
聴きに行った。会社を早めに出て二子玉川。18時から。

ネイさんは世界のあちこちで、クルマが走るような大きな橋から、
歩道橋のような小さな橋まで(橋以外にもいろいろ)、
デザインをして作っている人で、その橋の形はとても独創的で、
おもしろくて、ぜひお話を聴きたいと思ったのだった。
(このサイトに写真がたくさんある NEY +Partners | Bridges

橋は、川とか谷とかを挟んでふたつの地点を結ぶものだけど、
単にそれだけじゃなくて、その作り方とか機能とか地域の文化や
ニーズや美しさとか、いろんな要素が反映されてきるものだから、
そのときどきの国や街を象徴するようなものになっている、
というのが、なるほどなあと思った。
ぼくはそこまで考えながら橋を渡ったことがない。
何も考えずに橋を渡っていた。というか、
そうやって考えさられるような橋を、
これまであまり見てこなかったからかもしれない。
ネイさんの橋を見ると、なんでこうなってんだと考える。

生き物のようななめらかな曲線を描いていたり、
構造や材質についても、いろいろ不思議に思う。
で、それらにはすべて理由があって、コンピュータで解析して、
強度とかコストとか、もっとも最適な形状を算出して、
地域のニーズや、文化を織り交ぜて突き詰めていくと、
機能的にすぐれて、かつ見た目にも美しい橋のデザインが、
自然とできあがっていくらしい。すごい。

最近は長崎の出島に架ける橋の設計をしているとのこと。
シンポジウムを開いてニーズを聞き出して、
みんなでこういうふうにしたいとかを検討するらしい。
コミュニティと協力して、工夫して、
その場所独自の愛着のあるものを作り上げていくのって、
とても素敵だ。橋の費用10億円が市民の寄付
というのもすごいと思った。

重要なのは自分の野心ではなく、
地域の人々の野心(大望)が必要で、
デザイナーはそれをかたちにするのが仕事。
と講演の最後におっしゃっていた。

10月8日

映画「フランク」を見た。川崎のチネチッタ。
ところで、チネチッタで映画を見ると、
提携している飲食店で割引があっておトクだし、
5回見ると1回無料になるし、会社から近いし、
これからもっと行くわ。ちなみにイッセイ氏は常連。

「フランク」超よかった。
作曲を趣味としている平凡な会社員のジョンが、
フランクというミュージシャンとその仲間たちと出会って、
という物語。作品の中心になってるのはフランクで、
フランクは精神的なものでハリボテの被りものを脱げない。
フランクの仲間たちも精神的に問題があって、
このグループでしか生きられない感じでゆるく結束している。
フランクはその中でカリスマ的なリーダーになっている。
そこにジョンという社会性が持ち込まれる。

ぼくは高校と浪人のとき、人の視線が恐ろしくて、
電車に乗るのが大変な時期があって、
フレームの太いメガネをかけたりしていたので、
被りものをかぶる人の気持ちがよくわかる。
いまも家の中にいるときがいちばん元気で、
外に出ると30%くらいの元気になるし集中できない
(できたら被りものかぶって生活したい)。

とにかく、そういう自分の本領を発揮できるホームに、
亀裂が入るというか、外の世界に出ていこうとか、
そういうことは誰もが日常的にやっていることだと思うけど、
それが超困難なフランクがやると、というのが興味深いし、
感動する。歌もよくて、笑いもたくさんあった。
見てよかった。
http://instagram.com/p/t5OwMiiwg5/
チッタ近くで食べた海鮮パエリア

10月10日

文芸漫談へ行った。下北沢の北沢タウンホール。
今回のテーマは泉鏡花の『高野聖』。
文芸漫談は、読まずに行っても笑えるけど、
事前に読んでいくと何倍も笑えて勉強になる。
だから、読んだのだけど『高野聖』よくわからない。
誰の台詞なのか、時間軸はどうなっているのか、
この表現はどういう意味なのか、間違いじゃないのか、
わからなさの原因は、1900年の作品ということと、
ぼくの力不足なのだろうと思った。

で、実際に文芸漫談が始まって、
作家の奥泉光さんといとうせいこうさんがお話をするのだけど、
「泉鏡花は、変」というのが奥泉さんの主張で、
おふたりにも作品中のある場面の描写について、
「これどういうこと?」「変でしょ」とおっしゃっていたので、
作家の人でもわからないんだと思った。

泉鏡花がどのように変なのかについては、
当時、自然主義が主流になり始めてきてリアリティを
追求した書き方になっていっているのに対し、
泉鏡花がそういうのを全然気にしていないという点や、
いまだったらたくさん校正を入れられような書き方が、
(天然かどうかわからないが)されていることや、
想像の赴くままに、いろんな現象の境界をなくしつつ、
独自に自分の世界の中だけで書き続けたという感じが、
変な感じのもとのようだった。人柄についても、
お辞儀で畳に手をつくとき手の甲をつけていたとか(ゴリラか)、
病気がこわくて外出しないとか、お酒を燗にするとき
ぐつぐつ煮たとか、変人エピソードもたくさん展開された。
そんなツッコミどころがたくさんある作品と人だったので、
漫談はいつも以上に爆笑が起きていた。たのしかった。

あと「自然主義になってからの抑圧」というような話が出た。
20世紀前半の自然主義になる前は様々な書き方があったのに、
自然主義が中心になってから統一されていくことになり、
それによって抑圧されているものがあるということらしい。
変さが認められなくなるのはストレスになりそうだし、
変なのがなっていくのは、さみしいと思った。
抑圧されたものはどこへ行ったのだろう。

10月11日

荻窪の区民センターで人狼をした。
10人で、昼の1時から夜の9時までの8時間。
最後の方はみんなへとへとになっていた。
何度もやっているとゲームの進め方が固定化して、
ルーチンになりつつある感じがしてきたので、
いつもと違うことを(つかなくてもよいウソをついたり)したら、
自滅したり村が滅びてしまった。
1ゲーム終わって「なんでそんなことしたの!?」
とおどろかれた。それでもなぜか勝率はよかったので、
これは何かあると思った。
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型から外れたことをすると、
村全体が新しい状況に対応できずに滅びる可能性が高い。
だからといって、型と同じことをしていたら、
人狼が意図して型を崩す方法で攻めてくるかもしれないので、
できるだけ状況に合わせて、多様な戦法をフレキシブルに
とることができるようにすることが大切なのだと思った。
つまり、ぼくは自分が勝とうとすることよりも、
村全体の防衛力向上に寄与したいと考えていたのだ。

いきなりおかしな行動をする人を、
「さてはおまえ人狼だな!」と反射的に疑い、
村八分にして吊るすよりもまず、
「なるほどそういうこともあるよね」と余裕を持って受け止め、
あらゆる可能性を考慮して、その変異を利用すること、
ダイバシティ、それがコミュニティ全体の成長につながると、
人狼にかぎらず、思ったのだった。

10月13日

目黒のMakersBaseというシェア工房
(様々な工具や設備を時間単位で借りて使うことができる)で、
ものづくりのワークショップをしているということを聞いて、
行ってきた。ぼくが参加したのは、錫(すず)の酒器作り。
直径6センチくらい厚み1センチほどの錫の板を、
木槌と金槌で叩きまくって、酒器の形にしていく。

朝10時スタートで、終わったのは3時間半後の1時半。
黙々と錫を叩き続けるのは、とてもたのしい作業だった。
頭のなかが空になるし、インターネットから離れられる。
錫はとてもやわらかい金属で、すぐに延ばせるけど、
傷つきやすい。酒器の形やテクスチャは各自好きにできる。
ぼくは丸くして表面はツルツルにした。
同じ時間に参加した2人は円錐台のようにしていた。
http://instagram.com/p/uFSx31Cwnz/
われながらよくできたと思う。家で賀茂鶴を注いで飲んだ。
錫は抗菌性があり熱伝導がよく錆びにくく、
あとお酒がうまくなるらしい(理由はわからない)。
で、飲んだらうまかった。
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そうだ、工房へ行くとき、以前職場だったビルを横切った。
懐かしくて、当時何度も行ったことのあるカレー屋
ルソイでマトンカレーを食べたのだった。うまかった。
http://instagram.com/p/uFJAr9Cwv-/

SUPしたり、しまなみ海道を走ったり、飲んだり食べたりしている

ブログを書くのがどんどん減っていて、へこみます。
書かないと書かなくなるし、読まないと読まなくなるし、
書いたり読んだりがじわじわ続いている時期があっても、
何かのタイミングで途切れてしまうと、
もとにもどるまでにきっかけが必要というか、
ただ眠いだけだったりする。

いろいろなところに遊びにいってブログを書く時間がない、
というのがある、というかそれだけだ。書いてない理由は。
書かないと、体験や考えが保存できない感じになる。
保存できないまま日々を送るのには、かるいストレスを感じる。
ぼくはケチなので、日々のことを記録しておかないと、
もったいないと思ってしまう。もったいない。

前回の日記から最近のことを書くので、
9月の頭からあったことを書く。
TwitterやGoogleカレンダーやInstagramの写真を見返しながら書く。

9月5日

http://instagram.com/p/suTm3eCwjS/
なんだこの写真って思ったら、そうそう、
大岡川でSUPというスポーツを体験したのだった。
SUPとは「スタンドアップパドルボード」の略で、
サーフボートに立ってパドルで漕ぐ遊びだ。
エクストリーム出社の取材でやったのだった。
あまやんさんとiruiさん、普段からSUPをやっている人たちで、
平日早朝の黄金町に集合して、大岡川からみなとみらいまで漕いだ。
http://instagram.com/p/suT4TPiwjp/
ボードは思っていたよりも安定していて、
だれも水に落ちることはなかった。
コツをつかむとスイスイと気持よく進む。
http://instagram.com/p/suT0STiwjh/
ランドマークタワーや観覧車を川から眺めたのだった。
とても不思議な写真ですね。絵画みたい。
この時の様子はNHKの「おはよう日本」で放送された。

9月12日

川崎の商品開発研究会で知り合うことができた岡本さんと、
岡本さんの仲間たちが運営している「こすぎの大学」に行った。
「こすぎの大学」は武蔵小杉に関係のある人が
(あまり関係ない人でも)、老若男女が集まって、
みんなで知識や体験を共有して学んで、つながって、
武蔵小杉を中心にたのしくやっていこうという活動です
(間違っていたらすみません)。

会社が終わってから、川崎から武蔵小杉へ。
大学といっても校舎があるわけではなく、
公民館のようなところに集まりました。
職業も年代も様々な人たちが30人ほど。
この日のテーマは「こすぎトラベラーズサロン」という
旅について語り合うサロンを運営している真鍋さんのお話と、
それを受けてのワークショップで、おもしろくて刺激的で、
2時間があっという間だった。
終わってから懇親会にも参加させていただいて、
いい感じの焼鳥屋さんで、けっこう飲んだ。
みなさんとてもよく飲む人たちで大いに盛り上がって、
翌日になってもしばらく興奮が覚めなかった。
http://instagram.com/p/txnFFriwht/

9月13日

こんなのやってますよとYUさんが教えてくれて、
麹町にあるニュー麹町ビルへ行った。
http://instagram.com/p/s430vliwg2/
取り壊しが決まっているビルを、どうせ壊すならみたいな感じで、
まるごとアートスペースにするプロジェクトで、
各フロアのそれぞれのエリアにアーティストが、
自由に絵を描いたりオブジェを作ったりして、
大変なことになっていた。ビルの中というのがおもしろい。
少し前までオフィスとして使われていた跡もある。
http://instagram.com/p/s44AP6CwhJ/
来場者が自由に絵を描いていい壁があったので描いた。
http://instagram.com/p/s43bBHiwv9/http://instagram.com/p/s43gJUCwgK/
楽しかった。そのあと銀座のギャラリーで焼き物を見て、
代官山アートフロントギャラリーでレアンドロ・エルリッヒ展を見た。
展示をはしごしたのはすごい久しぶり。YUさんはよくするらしい。
そのあと中目黒の藤八という居酒屋に入って飲んだ。
ここがとてもよかった。また行きたい。
http://instagram.com/p/s43H7hCwvY/
http://instagram.com/p/s43kUmiwgU/

9月20日~23日

旅行をした。旅の目的はしまなみ海道という
広島の尾道と、愛媛の今治を結ぶ70キロに渡る道を、
自転車で走破すること。同僚のNさんに、
「しまなみ海道いいですよ」と教えてもらって、
じゃあ行きましょうと最初は2人で行く予定だったのだけど、
Nさんの都合がわるくなり(バーベキューの幹事だった)、
結局ぼくひとりで行ったのだけど、超たのしかった。
http://instagram.com/p/tLn7xeCwuo/
1日目は飛行機で松山空港へ行って、道後温泉に泊まって、
2日目の朝8時から自転車でしまなみ海道を走った。
自転車はレンタル(1日で1500円)で、
15箇所あるターミナルのどこに返してもいい。
ゴールの尾道に着いたのは夕方5時。9時間も走った。
こんなにかかったのは、自転車選びを間違ったからだと思う。
ロードレーサータイプの自転車を借りればよかったのだ。
それをママチャリを選んでしまった。
http://instagram.com/p/tL7Yxuiwhw/
ママチャリを選んでしまったのは、スタート地点のターミナルで、
しまなみ海道を走っている人たちの写真が展示されていて、そこに、
普段着の女性がちょっと出かける感じでママチャリに乗っている姿を
見たからで、「あ、これくらいの大変さなのか」と勘違いして、
それなら、乗り慣れているママチャリにしようと判断したからだ。
いま思うと、あの女性は最初の数キロ先の島だけ行って、
景色やサイクリングの雰囲気を楽しんだら、次のターミナルに返却、
そのあとバスで尾道へ行く系の人だったのだろう。
http://instagram.com/p/tMrhVtCwpz/
あと、普段着で自転車乗っている人は、見かけなかった。
みんなピチピチした、いかにもサイクリングという感じの
格好をしていた。ママチャリで普段着の人は、
地元の島民の人以外見なかった。
自転車を借りるときに、スタッフの人に
「大丈夫ですか?」と聞かれたのだけど、
何のことかわからなくて、反射的に大丈夫ですと答えたけど、
「そんな装備で大丈夫か?」ってことだったのだ。
これからしまなみ海道へ行く人は気をつけてください。
http://instagram.com/p/tMzCCziwh-/
ゴールしたらもらえる認定証。達成感がすごい。


旅の目的はもうひとつあって、尾道のゲストハウスに泊まること。
こすぎの大学の岡本さんが『0円で空き家をもらって東京脱出』という
本をブログで紹介していたのを見て、ぼくも読んでみたのだ。

0円で空き家をもらって東京脱出! ( )

0円で空き家をもらって東京脱出! ( )

東京で貧乏暮らしをしていた漫画家が一念発起して、
いきなり尾道に空き家をもらって移住をはじめるという
ドキュメンタリーマンガで、「へえー、こういうことができるんだ」
というのがたくさんあって感心したのだった。
そのマンガの中に描かれている、
尾道の空き家を改装して作ったというゲストハウスに、
ぜひ行ってみたいと思ったのだった。

http://instagram.com/p/tM_q7Uiwuo/
レンタサイクルを返却して、銭湯でひとっ風呂浴びて、
すぐに向かった。これがそのゲストハウス「あなごのねどこ」。
男女別の相部屋の2段ベッドで、1泊2800円。
ボランティアの人たちが中心となって空き家を改装した
と本にあったので、正直大丈夫か(強度とか)と思っていたのだけど、
本当にしっかりできていて、しっかりしているうえに、
手作りのあたたかさが建物の隅々までに行き届いていた。
たとえば2段ベッドの機能性とデザイン、シャワールームのタイルや、
併設されているカフェの内装や、どれも素晴らしくて、じーんとした。
新築のかっちりした建て方では出すことができない、
みんなが工夫しておもしろがって作っているところが、
空間にいるだけで伝わってきて、いいなあと思った。
http://instagram.com/p/tNAEK2iwvC/
チェックインしたあとに尾道の街に出て食事。
小料理屋に入って、あなごが名物なので煮穴子。
http://instagram.com/p/tNIRRzCwps/
日本酒は雨後の月。超絶うまい。
いい感じに酔ってきたところで、
Twitterで教えていただいたカフェへ行った。
http://instagram.com/p/tNN9Q9CwhT/
ここも大変よかった。本がたくさんあって、
文字が読める明かりだけあって、音楽が小さくかかっている。
地元の若い人たちのコミュニティがあるみたいで、
ぽつぽつ集まってきて店のマスターと
楽しそうに話していているのを見てたら、
なんか涙が出そうになった。


宿にもどると、ガイドブックとか置いてある居間に
宿泊客の人たちが7,8人集まっていて、にぎやかに話をしていた。
ぼくもそこに混ぜてもらって、今日あったことや、
どこから来て、明日はどこへ行くのかなど情報交換をした。
大学生の男子は四国を自転車で1周したあとだったり、
バルセロナから来た夫婦の方は翌日しまなみ海道へ行くそうなので、
「ママチャリはやめておいた方がいいですよ」と伝えた。
同年代の女子ふたりは友だち同士の感じだったので、
一緒に旅行しているのかと聞いたら、さっき会ったばかりで、
港で地ビールを飲んできたという。
しまなみ海道をママチャリで走破した話はインパクトがあったみたいで、
みんなからおどろかれたり笑ってもらえたりで、いい話題になったので、
やってよかった。つらかったけど。
0時までおしゃべりして、それぞれ寝室へ行った。
旅先だと寝付きがわるいのだけど、さすがに疲れていたのと、
うまいものを食べて飲んでしたので、あっという間に眠った。


とてもよい旅だった。毎月旅したいよ。
http://instagram.com/p/tOu8gziwmg/
旅の記録はトゥギャッターにまとめているので、
こちらも見てみてください。

9月29日

数年前に、鉄メディアサミットという
位置メディアサミットのスピンオフみたいなイベントに、
リアル桃鉄をやっている人として呼んでいただいたときに、
知り合った、もりちゃんさん主催の
「よくわからない集まり」
という会にお誘いいただいて参加した。

渋谷のレンタルキッチンで、もりちゃんさんが、
直々においしい餃子鍋や、パスタを作ってくれて、
それをみんなでいただいた。どれもうまくて感動した。
2時間ほど、食べたり飲んだりして歓談していたけど、
十数人のメンバーは皆さんお互いよくわからないままだった。
それはそれで、いいと思った。
ぼくはAさんが買ってきた白ワインがうまくて、
それをたくさん飲みすぎてしまった。

桜木町で終電。家まで2時間ほど歩いた。
途中でお好み焼とおにぎりを食べていたことをレシートで思い出す。
ツイートを見ると「ころんだ」とも書いてある。
そのとき自分は酔ってないと思っていた。

10月1日

4年前にiDishというのをやった(iPadをお皿として使った)ときに、
英訳をして世界に広めてくれたアオキさんと会った。
朝の品川のマンゴツリーカフェ。いろいろおもしろかった。
4年前にお会いしたときは、アオキさんは会社を辞めるか
辞めたときで、そのあと、実家にもどったり留学をしていたそうだ。
http://instagram.com/p/txys_8CwrH/
アオキさんは、iDishのときに、
英訳させてくださいとぼくにわざわざメールをくれたような
好奇心旺盛でおもしろいことに飛び込んでいくタイプの人なので、
たくさんのひととのつながりがあって、そのつながりで、
とても順調に仕事をして生活をしているようだった。
いまは個人事業を立ち上げて、日本と海外を行き来して、
すごいなと思った。

また新しいデバイスを使って、
インパクトのあることをしたいですねとか、
エクストリーム出社とコラボレーションしたいですね、
と話したりして8時に品川駅で分かれて出社した。
朝から有意義で、意識の高いビジネスパーソンになった気がした。

10月3日

会社が終わってから、
川崎のコリアタウンへ行って、焼き肉を食べた。
小宮山さんとイッセイ氏とチダックスさんとで行った。
ぼくは川崎にコリアタウンがあることを知らなかった。
セメント通りともいうらしい。川崎駅東口からバスに乗る。
15分ほど乗って、コリアタウンと書かれた通りに出たのだけど、
コリアタウンの感じはしなくて、暗くて普通の住宅街っぽい。
新大久保みたいなのを想像していたけど、ぜんぜん違う。
http://instagram.com/p/txynlDiwq-/
しばらく歩くと、焼肉店が密集しているエリアがあって、
ようやくコリア感が出てきた。そのうちの手頃で、
よさそうな焼肉屋さんに入った。古いけど清潔な店で、
中は少しバンガローっぽい。バスに乗ったせいもあり、
やけに遠くまできたような、山梨に来たような気分になった
(韓国ではない)。

肉がうまいのはもちろんだけど、
キムチやナムルやチヂミもうまかった。
小宮山さんがダイエットでライスを食べないと宣言して、
焼肉屋に来てライスを食べないなんてと思いつつ、
自分は肉と白米を口に運んだら、あまりのうまさに、
おかしさが込み上げてきて笑ってしまった。
結局、我慢するとストレスになるなどと皆で説得して、
小宮山さんもライスを食べていた。それでよかったと思う。

http://instagram.com/p/tsF_5ciwvA/
別の焼肉屋さんの前にいたネコ。
ダンボールの上に横になってるのもかわいいし、
この体勢も、なんか人間ぽくてウケる。

富士山に登ったり、人狼合宿をしたりしたこと

あっという間に秋っぽくなって、というか秋だ。
胸に直接吹きこんできて、空っぽを感じさせる澄んだ空気に、
もうすでに寂しくなりかけているけど、これがいい感じで、
寂しさを気持ちよくもっと味わっていたいと思う。
だけどあと数週間ですぎて行ってしまうのだろうな。


今年の夏は、いろいろした。
人とたくさん会ったし、よかった。
書くことがたくさんで、ブログを書こうとすると、
面倒くさくなって、なかなか取り掛かれないほどだった。
いつ何があったか、何を考えたかをきちんと書いておくと、
頭の整理と振り返りに便利なので、書いておこうと思うのです。

8月13日

富士山に登った。はじめて登った。吉田ルート。
たかはしさん、イッセイさん、おのしゅうさん、
なおさん、みおさん、しーなの6名。
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これは5合目の入口。


富士登山といえば、高山病のことばかり頭にあって、
ぼくは数日前から、高山病のことをずっと調べていた。
家で高山病のことを調べているだけで、
空気が薄くなってきた気がして苦しくなるほどだった。
体力については問題ない、となぜか信じていた。
というのもお年寄りや子どもも登頂してると聞いていたから。
頭痛がして吐き気がして息が苦しくなるという
高山病だけが、恐くてしょうがなかった。
結論から言うと、高山病にはならなかった。
こまめな水分補強と、呼吸をたくさんしたからだと思う。


16時頃に登り始めて、思っていたよりもすいすい進んで、
17時半には7合目に着いた。そこまでは暑くて、
Tシャツで登らないと、汗びっしょりになるほどだった。
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しかしここからが大変だった。
急に寒くなって、天気も霧っぽくなって、日が暮れてきた。
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18時半、2,800m地点。


寒さと暗さは人を不安にさせる。疲労もすごい。
いちばんきつかったのは、結構な傾斜の岩場で、
足場を確認してよじ登っていかないと危険なところで、
おまけに雨まで降ってきた。振り返れば高所恐怖症には厳しく、
だからといって、引き返すこともできないし、
その場にとどまっていられるようなスペースもなく、
じっとしていれば寒さと暗さが迫ってくる。
ぼくが子どもだったら泣いてた。
酸素がうすくて、ペースを早めると、
息が切れてくるし、うっすら頭がいたい。


なんとか力を振り絞って、これ以上はもう無理、
というところで、なんとか宿泊する山小屋に着いた。
地獄から一転して、天国だと思ったのだけど、

本当の地獄は山小屋にあった。

着いてすぐにレトルトカレーが出てきて、
これを早く食べるように急かされ、
食後まもなく寝床に向かわされた。
そういうものなのかと思ってベッドを見ると、
たたみ1畳に2人寝るようなスタイルになっていて、
2段ベッドで天井が低く何度も頭をぶつけながら、
所定の位置に仰向けになると、両側のイッセイ氏と、
おのしゅうさんに挟まれ、お互い肩が触れ合うほどで、
ウォータースライダーを滑るときのポーズ
(またはファラオの呪い的なポーズ)になった。


で、寝ようとして1時間ほどがんばったのだけど、
寝れるはずもなく、周囲には何十人もの人びとが、
縮こまって詰め込まれて蒸し風呂のようになっており、
山小屋は気密性が高いものだから酸素濃度が低下し、
だんだん具合いがわるくなってきたので、
たかはしさん、なおさんと共に寝床から抜けだした。
おのしゅうさんだけ豪快にいびきをかいて寝ていて、
ちょっと尊敬した。


ここにいてもどうせ眠れないしということで、
深夜1時から頂上を目指すことにした。
すでに山小屋の前には、
頂上でご来光を見ようとする人の行列ができていて、
なんとその行列は頂上まで続いていると聞いて、

わー、帰りたい!

と思うほどだった。しかし、ここまで(本8合目)まで、
来たのだから頂上まで行っておこうと頑張ることにした。
ミオさんは、山小屋に着いてから高山病になってしまい、
頂上まで行って戻ってくるまで、山小屋で待つことになった。


本当は暗い中を登山するのはいけないのだろうけど、
行列ができているので道に迷うことはない。
雰囲気としては、初詣っぽい。少しずつ少しずつ歩く。
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これは、たかはしさんが撮影した写真。
UFOとか太陽系的なものに見えるけど、
この明かりは、登山者のヘッドライトの明かりで、
この明かりがずーっとうねうねと連なっているのだった。
そして、霧と闇で数メートル先も見ることができず、
ご来光も見えなかった。


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頂上での写真(なおさん撮影)


5時40分。登頂成功! 山頂はものすごい風で、
真冬の格好でいても寒く、前髪が凍るほどだった。
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山頂の神社で御札と御守を買って、下山した。
ご来光が見えなかったことは、もうどうでもよいことであった。
今回のメンバー全員、ご来光とかどうでもいいと思っていた。
とにかく早く帰りたいのだった。


山小屋に寄ってミオさんと合流して、下る。
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下山道はずっと同じような景色で、ただただ疲れた。
5合目からバスで山麓の駐車場へ。それからふじやま温泉へ。
ちょうど昼の12時。温泉に入って、ご飯を食べて少し寝る。
このあたりでようやく達成感のようなものが湧いてきて、
やあよくやったなという気分になる。
16時に施設を出て、たかはしさんとおのしゅうさんの運転で、
都内まで帰ってきて、打ち上げ。
登山中の緊張、高山病の不安、山小屋の狭さ、
頂上までの行列の長さなど、富士登山が過酷だったことによる不満が、
ビールを飲んだことで一斉に噴火したようになって、
全員でまさかの富士登山disを繰り広げた。
結論は、全員一致で、

もう二度と登りたくない

ということになった。

だけど、みんなと山登りできたのは、
とても楽しくてよい思い出になりました。
だから、よかったのだと思う。

8月22日

第二回の人狼合宿を三浦のリゾートホテルでやった。
金曜の夜に退社してから、京急線で三浦海岸を目指す。
品川から特急に乗れば1時間ほどで着くからすごい。
17名も集まった。早めに着いたグループは、
三浦の地魚を出してくれるお寿司屋さんで食事。
毎回、とてもうまい。
http://instagram.com/p/r_3MNzCwv7/
夕飯を食べ終えたら、スーパーで飲み物やお菓子を買って、
ホテルに入る。温泉に入って浴衣に着替えて、
0時すぎたころに人狼をスタートする。
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そして、夜が明けた(春昆布さん撮影)

しかし、今回はやけに眠かった。
あと、みんなもかなり眠そうだった。
ビールを飲みすぎたのかもしれない。
次回は、夜はきちんと寝て、
朝から会議室を借りてやった方がよいのではという
言われてみれば当たり前で、どうしていままで、
そうしなかったのだろうというナイスアイデアが出た。


翌日、チェックアウトしてお寿司を食べて、
ホテルの会議室を借りてふたたび人狼。
15時ころに雨が上がると、誰からともなく
「海へ行こう」という声が上がり、
いきなり海岸へ海水浴に出た。
http://instagram.com/p/sCIF9nCwiW/
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で、また会議室に戻って、人狼。
欲望に突き動かされるままに動く。
夜まで遊んで、魚料理のお店で天ぷらや
ミックスフライを食べて帰る。たのしかった。
年齢が上がるにつれて、こういう集まりって貴重だなと思う。
食べたいものを食べ、やりたいだけ人狼をやって、
海に行きたくなったらいきなり行って、また魚を食べるって、
こんな自由でアホみたいなことを、一緒にできる友人がいることって、
すごくありがたいと、しみじみ思う。末永くやっていけたらいいなと思う。

水鉄砲運動会、お墓参り、いろんな人と会ったり、『小森谷くんが決めたこと』を読んだ

7月29日

ひさびさのエクストリーム出社。
西新宿の芸能花伝舎で朝6時から水鉄砲運動会をした。
芸能花伝舎は小学校の跡地を活用した文化交流スペースで、
校舎や校庭がほとんどそのまま活用されている。
大きなグラウンドに50名ほど集まって、
水鉄砲を射ち合ったりして遊びまくった。

amazonさんが協賛となってくれて、
豪華な水鉄砲が人数分提供されたのだった。
この様子はフジテレビのニュースで放送されたりした。

ところで、エクストリーム出社協会の体制について、
これまで、あまやんさんとぼくで共同代表だったのだけど、
イベントの前に、あまやんさんに代表になってもらって、
ぼくは副代表になったのだった。
というのも、あまやんさんの勤めている会社が、
エクストリーム出社を事業化することになったからで、
それならあまやんさんが代表になった方が、
いろいろスムーズだろうと思ってそう提案したのだった。

事業化のおかげで、今回の規模のイベントができた。
(あまやんさんのところの社員さんが来て運営をしていた)。
これからも企業とのコラボなどが行われるはずで、
ぼくは何かあったら呼ばれて行きます。
エクストリーム出社が事業化されるまでの約1年間で、
学んだことをまとめて、振り返っておきたいな。
やったことを体系化して、またおもしろい現象を作りたい。

8月1日

会社帰りに、大森に寄っていわし料理の店で飲んだ。
刺身、唐揚げ、しそ巻きなど。どれもうまくて大満足。
仕入れは大田市場でしているとお店の人が言っていた。
イッセイ氏、ダヤンさん、ユーコさんが合流。
http://instagram.com/p/rJ14JliwqL/
途中、お神輿がやってきたので店の外に出て鑑賞して、
もどって閉店近くまで飲んでいた。よい夜だった。

8月2日

昼から菅原さんのお墓参り。麻布十番。
しまづさん、はっちさん、ゆかりさん、イッセイ氏と行った。
菅原さんが亡くなって6年がたって、
一緒に行ったメンバー全員が菅原さんの年齢(30)を超えた。
6人中3人は既婚(予定も含む)になったし、
生きている方の時間は、強制スクロールでぐいぐい進む。
自分は無敵ではないことをよく意識して、
残りの制限時間を楽しく生きたいとあらためて思った。

お寺を出て六本木の方を歩いてから、
月島の五平でもんじゃとお好み焼きを食べた。
ビールとサワーを飲んだ。うまかった。


家に帰って、録画しておいたテレビを見た。
ホドロフスキー監督の「ホーリーマウンテン」の
ブルーレイが届いていたのでこれも見た。すごかった。

ホーリー・マウンテン HDリマスター版 [Blu-ray]

ホーリー・マウンテン HDリマスター版 [Blu-ray]

夢(とくに美しい悪夢)の断片をつなぎあわせたような映像で、
どの場面を見ても、人間の心のずっと奥にあるもの、
集合的無意識にあるイメージを見せられている気がして、
むき出しになった神経を撫でられているみたいにぞくぞくする。
そんな感じで心を素手でかき回しておきながら、
突き放すようなラストがまた衝撃的で、
しばらく茫然としていたら夜が明けていた。

8月4日~7日

夕方から川崎産業振興会館で研究会があって参加をした。
会社から歩いていける。興味深いお話をいろいろうかがった。
この週は仕事での外出が多くて、水曜は浅草の方へ行ったり、
木曜は武蔵浦和へ出かけた。用事がすんだら交流をして飲んだ。
とても刺激になるお話を聞かせていただいたうえに、
ご馳走になったりして、こういうのが続けばいいなと思った。

8月10日

中村航さんの新刊が出たので買って読んだ。
普通の男子の話を書くというテーマで、
中村航さんが30代前半の普通の男子にインタビューをして、
彼の誕生から現在までをそのまま小説にしたという小説。
主人公のことが三人称で淡々と気持のよいペースで語られる。

小森谷くんが決めたこと

小森谷くんが決めたこと

普通の男子の話なので、小説的な伏線や盛り上げ方はない。
変に盛り上げたり、特殊なエピソードが入ってきたら、
普通の男子ではなくなってしまう。本当に普通。
それで、おもしろい小説になるのだろうかと疑問になるのだけど、
読むと超おもしろい。

まず、小説に出てくる単語、「スターソルジャー」とか、
「伊集院光の『Oh!デカ』」とか、学生時代の習慣とか、
まったくの同世代で、その辺りがすごくリアルでニヤニヤした。
リアルさは単語やエピソードだけではなく構造にもあって
普通の男子の話なので、伏線だとか大きな山場がない。
作為がなく説明的にならないことを徹底すると、
伏線のような一次元レベルではなくて、面というか、
人が存在することで生じる複雑な因果関係のような
立体的なレベルでのリアルを感じられるのだと思った。
なので、劇的でなくても強く引き込まれて、
普通の男子にも、相対的なクライマックスがやってくる。

それと主人公の性格、友人との関係、恋愛を通して、
失敗して反省してを繰り返して成長していく様子が、
これは誰にでも思い当たることだと思うのだけど、
まさに自分と重なるのだった。
普通であっても、盛り上がるところは盛り上がるし、
おもしろい物語になるのだから、普通ってなんだろうと思った。
誰でも生きれば物語ができるし、客観的に語ればおもしろい。
おもしろくない人生なんて、この世にはない。
そんな前向きなメッセージを感じた。