メダルゲームの思い出

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 小学生のころ、イトーヨーカドーにあったメダルゲーム(短距離走をするカエルのなかから1位のカエルを当てる)で、メダルが60枚出たことがあって、それにはまって毎日行って、帰ってからもそのことしか考えられなくなったことがある。

 小遣いは減り、メダルゲームに費やさなければ「SDガンダムBB戦士」のプラモデルが買えたのに……と悔やむこともあったが、60枚出たときの高揚感を思い出すとやめることができなかった。

 小遣いが尽き、それでもどうしてもやりたくて、父が買ったPC-9801VXで同じようなゲームを『マイコンBASICマガジン』などを参考にして作った。乱数を使うと、プログラムした作者にも勝敗が予想できないことに、すごく感動した。

 メダルゲームのことは忘れ、光栄の「三国志」(フロッピーディスク3枚組だったと思う)の一騎打ちだけを抜き出したゲームを作って、能力値の違うオリジナルキャラクターを100人作って、ノートにプロフィールを書いて、戦わせて、時間を忘れてひとりで眺めていた。

 素早さの差で攻撃回数が決まる。攻撃には命中率があって、ヒットした場合は攻撃力と防御力の差でダメージが決まる。それらには乱数が掛かっている。どちらかが倒れるまでループさせる。番狂わせも起こる。

 このようなことばかり考えていたので、外で友達と遊ぶときも、現実をどうやってゲームプログラムにするかということ、いまでいうアルゴリズムを自然に考えるクセがついてしまった(大人になってからの「リアル桃鉄」や「エクストリーム出社」はその影響だと思う)。

 32x32の8色のドット絵と、キン!キン!というBEEP音。ライフを表す赤と青のバーが少しずつ短くなっていくだけだけど、プログラムはキャラクターの思考のようであり、頭の中では彼らが話し、縦横無尽に戦っていた。人間関係や使命など、いつのまにか物語ができていた。

 ぼくのアバター「しーなねこ」もその頃できた。黄と赤なのは、8色しか使えなかったから。当時のゲーム作りのときのわくわくした気持ちは、いまでも心のなかにあって、またああいう気持ちになりたいというのはずっとある。